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イッチー Ironman Hawaii の軌跡
(JHスポーツへの寄稿文)
 1999年を締めくくるトライアスロンハワイ大会は10月23日(日)聖地ハワイ島コナに世界10大会から選ばれた1400人のアスリートが参加し始まろうとしている。am5:00、まだコナの朝は明け切らない。我々はカメラとバナーを持ってカイルア桟橋付近に出かける。会場はスタッフ、応援団、選手でごったがえっている。腕、太ももにレースナンバーを記入して貰っている選手、芝生やホテルのロビーで静かに目を閉じている選手など様々だ。スタート付近の防波堤には前日からシートを敷いて席を確保している人たちですでに一杯・・・我々も何とか席を確保しスタートを今や遅しと待つ。am7:00、朝日に輝くカイルア・ピアの海で選ばれし者の歓喜のスタートが切られた。1,400人のアスリートが一斉にスタートする様は圧巻だ・・・・まさに世界最高峰の戦い、「トライアスロンワールドチャンピオンシップ・アイアンマンハワイ」

 ・・・忘れもしない’91年7月末千駄ヶ谷神宮プールでの練習を終え人気の無くなったロッカー室で突然声を掛けられる。「スミマセン!トライアスロンをやっているんですか?僕らもやってみたいんですがどうしていいか解らないので教えて貰えませんか?」それが市岡君、本間君との最初の出会いだった。

 カイルア・ピアをスタートして約50分、スイムを終えバイクトランジットへ、選手を見ようと大勢のギャラリーが待ち受ける急坂に最初に現れたのはアメリカのデ・ブーン選手、急坂をものともせず消えて行く。トップが通過して約10分後、黄色の愛車ピナレロに跨り、J/Hのロゴマーク入りユニホーム、いつもの飄々とした顔で市岡がのぼってくる。カメラのシャッター音と歓声の中、バイク180kmの溶岩道路に駆け抜けて行った。

 市岡君はトライアスロンを始めて3年目となる'95年4月、日本でもっとも人気の高い宮古島大会で86位/1200人となりロング大会へ進む事になる。同年8月にはカナダアイアンマンで120位(年代別5位、日本人2位)に入り、念願だったハワイへの切符を手にする。しかし、練習や休養する時間の無いまま臨んだハワイは450位と惨敗!翌年4月東大大学院2年で臨んだ宮古島大会では総合35位/1300人と見事復活、競合ひしめく18歳〜24歳の年代別で2位となり、遂にロングの表彰台に上がったのである。'97年東大大学院卒業、学生時代専攻した橋梁工学の学問を活かすべくJ/Hにお世話になる。少ない空き時間を練習に費やし、仕事とトライアスロンを見事両立させ、上司や同僚の信頼を得、職場からサポートして貰えるようになり、彼の名前は次第にロングの世界で知られるようになる。

 観戦ポイントのカワイハエ交差点、我々の予想より少し遅れて市岡君の黄色いバイクが見えてきた。あの小さな体が躍動し大きく見える。元気だ!!180kmのバイクコースを5時間30分、時速は35km/hか・・・速い!残すは42.195kmのマラソンだ。

 就職1年目となる'97年6月、日本でのアイアンマンレース琵琶湖大会で総合61位、2度目のハワイへの切符を取得、10月のハワイ大会は前回の記録を1時間上回り189位/1400人、日本人では18位と着実に順位を上げる事が出来た。社会人2年目の’98年の宮古島大会ではバイク終了時まではまずまずの順位、得意のランで追い上げを期待されたが腹痛に見舞われ64位と不本意な成績に終わる。'99年、琵琶湖大会が無くなった為、ハワイへの切符を求め、3月ニュージーランドに向かう。スイムは好調、日本人1位でクリアするも今度はバイクで腰痛に見舞われその上、ドラフティングでペナルティをとられタイムロス、何とかハワイへの切符をゲット出来たものの悔いの残るレースとなった。しかし1ヶ月後の宮古島大会では絶好調で総合17位(年代別3位、日本人11位)と躍進、ロングの市岡としての地位を確立・・・・

 ラン10km地点、多くの応援団が陣取る観戦ポイントを通過、調子は良さそうだ。束ちゃんが併走して力づける。午後から空が曇りだしこれも例年とは違って比較的涼しいレースコンディションになって来た。選手にとっては走りやすい条件が揃ってきたのでゴールが楽しみだ。ゴール手前の直線コースに最初に戻って来たのは昨年2位に甘んじ、悔し涙を飲んだベルギーのリックバンリルデ選手だった。
 トップから遅れること約90分、市岡君がコナに戻って来た。トライアスロンを始めて8年、遂に自己ベストの9°47′08″総合183位/1400人、なんと日本人10位というおまけ付きだ!・・・この上位10人中8人はプロまたは、セミプロなのだから彼の強さは本物だ。226kmを上位で駆け抜けた直後とは思えないほど表情は明るい。なんとも言えない満足感が漂っている。しかし彼の口からついて出た言葉は「スイムの位置取りに失敗した。あと1〜2分縮められたし、バイクもランも、もう少し行けると思った。練習不足だった。」もう次のハワイへ向けてのこの発言はまさに恐るべしイッチー・・・

 ここまでこれたのは丈夫に産んでくれた両親やライバル(矢口栄司君etc・・)何よりも社会人となった現在、良き理解者となって応援してくださった上司や先輩諸氏にまず感謝しなければならないだろう。本格的にトライアスロンを始めて5年、日本のロングディスタンス界を背負って行くまでに成長した市岡君に周囲からの期待がかかる。が、そんな中彼ならきっと仕事と両立させながら周囲の期待に応えてくれるだろう・・・そう、あの飄々とした姿で・・・”自然を愛し、人々との交流を大切にしながら”という想いを抱きながら・・・

                                                       BEARS代表:矢口正武





            p/s:翌日10月24日、コナの教会で大勢の仲間に祝福され、
                    郁子さんとめでたく華燭の典をあげた。
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2003 Ironman Hawaii
   9:37 総合120位(日本人8位)

    
2003IronmanHawaiiフィニッシュ後
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BEARSのアルバム 1994.4.24 クマジィ、宮古島ストロングマン46歳の初挑戦!
1995.9.30 第10回 Kappa駅伝 (総合2位)
1998.11.1 ケンズカップ (リレー部門優勝)
イッチーIRONMAN HAWAIIの軌跡